住宅需要は85年以降、標準世帯の1次需要からよりよい生活・環境水準を求めての住み替えに重心が移った。これと並行して公共住宅の建替えも増加し始めた。86-91年のバブル期は、その最盛期で、低迷していた年間住宅建設戸数も170万戸に達した。また、わが国において、高齢化時代の到来が明らかになり、その対応が開始された。

HOPE計画の展開

公共住宅では、地域性の反映や地域活性化への貢献といった新しい役割が付加され、地域住宅計画(HOPE計画)が全国で展開された。当社は、HOPE計画制度の創設された82年以来、全国各地の市町村で研究者・地元組織等と協力して計画を作成し、その後の推進計画を行った。江津市HOPE計画(84年)は、その第1号であり、その後、大阪市、和歌山市、大江町、甘楽町などで同様の計画策定を行っている。

この頃からHOPE計画にとどまらず、地域性を反映した共同住宅の設計を当社は各地で行っている。地場産の焼杉板を用いた都松団地(85年、大分県野津町)、桜島の降灰に対処した袴腰団地(88年、鹿児島県桜島町)等はその初期の代表例である。

都松団地
袴腰団地

2段階供給システムの取り組み

住宅供給の多様化に関する取り組みとしては、京都大学巽研究室の開発した段階供給システムの実施に協力し、大阪府住宅供給公社の亥の子谷団地(=エステ南千里、87-88年)の設計を行った。

亥の子谷団地

高齢者住宅計画の研究と実践

高齢化への対応に関しては、84年建設省の委託で高齢化社会に対応した公共住宅のあり方に関する研究を行って以来、各地で地域高齢者住宅計画を行っている。87年には、国の制度に基づく全国初の藤沢シルバーハウジング・プロジェクトを実施し、ケア付住宅を実現した。これらの施策は後に住宅マスタープランに統合され、住生活基本計画に受け継がれている。当社は、全国各地でこの計画の作成に協力している。

CHS(Century Housing System)の取り組み

共同住宅の耐久性向上、長寿化についても、建設省の行った住機能高度化推進事業の一環であるCHS(センチュリー・ハウジング・システム)に参加、各地の公共住宅設計においてこのシステムを用いて、耐用年限の長期化を実施している。

景観形成の取り組み

都市景観形成では、その成果が高く評価された多摩NTのベルコリーヌ南大沢計画・設計(90年、住都公団)にブロック・アーキテクトとして参加し、デザインガイドラインの作成に協力しつつ担当ブロックを設計した。幕張新都心住宅地計画(88-09年、千葉県)では、全体基本計画の作成を行い、以降多くの都市プランナー・建築家・造園家等と協力して計画デザイン会議を運営した。この結果、沿道型中層住宅を主体とする斬新な都市型住宅地の景観形成に成功している。

ベルコリーヌ南大沢
幕張新都心住宅地(全体計画図)

多様な魅力を持つニュータウンの取り組み

NT計画では、大阪府の彩都・国際文化公園都市計画(85-10年、大阪府・住都公団・彩都(国際文化公園都市)建設推進協議会)や、関西文化学術研究都市計画(85-06年、関西文化学術研究都市推進機構他)に取り組んでいる。神戸・三田国際公園都市カルチャータウンでは、ワシントン村・兵庫村プロジェクトの計画・設計(88-01年、兵庫県)を行った。ワシントン村では、シアトルの建築家や造園家と協力して、道路沿いに広い緑地帯を持つ、垣根のない住宅地を計画し、併せてその維持管理方策も研究・確立し実現している。

公営住宅の建替え

この時期、当社は木質ラーメン構法開発への取り組みを開始した。耐震性の高い木構造住宅を実現する狙いがあった。86年建設省主催の新都市ハウジング・コンペに新都市型木造戸建て集合住宅(木質ラーメン構造による町づくり)を提案して入選。以降この構法の技術開発をすすめ、94年建築基準法第38条の一般認定を取得、この普及・開発のため、同年RHS技術研究所を織本匠構造研究所と共同で設置した。

93年社長は小林明となり、富安は会長となる。

木質ラーメン構造によるまちづくり