住宅の大量供給の結果、住宅の量的不足は解消し、住宅の質や都市環境の向上が課題となった。それまで少なかった共同住宅設計を業務とする建築事務所も増え、魅力ある公的住宅が各地に出現した。
創設者市浦健は、81年に逝去。社長は富安秀雄となった。所員数は54名。77年には福岡事務所を開設した。
NPS(New Plan System)
当社では、中層住宅を対象に、変化ある住棟設計を可能とするNPS(新平面体系)を開発した。これを用いて77年群馬県営下細井団地を、また2階建て低層団地として、78年佐賀県営鍋島団地を設計、変化に富んだ団地環境を実現した。埼玉県営入間向陽台団地(82年)では、中庭を囲む5階建住棟を3階に設けた外廊下(立体街路)で連結した。このレベルに上がるエレベーターを設置して高齢者等の利用に配慮するとともに、玄関先を通る見通しのよい階段や3階に設けられた屋上庭園を組み合わせて住戸間交流を促す計画とした。
高層住宅の工夫
高層共同住宅は、65年以降急増したが、共用部分が貧弱な場合が多かった。当社は共用部分の充実を意図し、広い廊下や屋上利用を考慮した計画を各地で行っている。78年唐津市営高層、79年神奈川県住宅供給公社若葉台団地、82年大阪府営島江高層、などはこの例である。
中層住宅の増築
この時期当社が担当した大阪府営中層住宅増築計画は、2DKの住戸に1室と浴室を増築する計画である。住民が入居したままPC工法で増床部を積み重ねる画期的団地再生計画であった。大阪府下全域約3.0万戸を越える住戸に対して増築が行われ、住民の暮らしを豊かにした。
都市内部の面開発住宅地
この時期は、都市内の工場用地を中心に遊休地が発生し、これを住宅地に転換する計画も数多く行われた。淀川リバーサイド(80〜81年大阪市・住都公団)等は、その代表的例である。亀戸・大島・小松川再開発事業(83〜89年東京都)は江東防災再開発構想による防災避難拠点であり、その住宅用地(約3ha・1,175戸)の高層高密住宅計画を行った。住棟計画は現代計画研究所と共同設計である。
複合機能型ニュータウン・海外ニュータウンの計画
NT計画では、厚木NT(70〜82年)、和泉NT(77〜85年)、仰木NT(76〜79年)、名塩NT見直し計画(84年)等、いずれも住都公団の委託で行った。75年以降は、住宅需要の変化に対応して、それまで住機能に特化していたNTを、研究・学術機能等、居住以外の機能を加え、複合機能都市に転換することが計画された。上記NT計画もこの方向で考えられた。
海外のNT計画へも参加した。マシャッドNT(73年、イラン)、カハマルカ鉱山都市(73年、ペルー)、ヨルダン北部地域総合開発計画(78年)等である。
住宅関連調査の取り組み
住宅の質や居住水準の向上に向けて、当社の実績や技術蓄積を活用して調査研究業務が75年頃から本格的に開始された。高層高密住宅居住実態調査(74年、大阪府)、大平内閣の提唱による家庭基盤の充実に資する住宅供給に関する調査研究(79年、建設省)、住要求の把握と体系化に関する調査研究(79年、住都公団)は、初期の代表的な調査研究業務である。