ニュータウンの展開
千里に続いて、65-67年、大阪府から泉北NTの基本構想、基本計画を委託され、併せて全体の約6割を占める住区の基本設計を行った。千里の経験に加えて、地形や現況植生の保存活用、地区センターとの位置関係を反映した住区・土地利用・密度等の計画、緑地帯を持つ歩行者専用道(緑道と称した)の導入等の新手法を用い、わが国におけるNT計画技術の基礎を確立した。泉北NTの緑地空間は、今も住民に高く評価されている。以降、平城・相楽NT(66年、日本住宅公団/RIA・オオバとの共同計画)、多摩NT西部地区(68-69年、東京都)、成田NT(68年、千葉県/宅地開発研究所・日本技術開発との共同計画)、香椎浜NT(69-83年、福岡市)、西神NT(69年、神戸市)、芦屋浜住宅地(70年、兵庫県)等を計画した。東京のグラントハイツ(=光が丘パークタウン、69-70年、東京都・日本住宅公団)も当社の計画である。
団地計画の拡がり
団地計画も数多く行うようになった。中層住宅では八田荘団地(65年、大阪府)、公団の石神井公園団地(66年)等がある。次第に大量の需要に応えるべく高層住宅が増加した。大阪府営塔状高層(68年)、横浜で連続して実施した公団の奈良北団地(69年)、南神大寺団地(70年)、南永田団地(70年)、都営住宅建替えの戸山ハイツ(73年)などは代表例である。中廊下型高層が多い中にあって、いずれも住戸・住棟計画の工夫で住戸の居住条件や屋外空間との関係を良好にした例である。